放射線治療による白内障の発症

25歳という薬学生である私にとって最も重要な大学6年生の時に経験したのが、白内障でした。

私は、白血病の治療によりドライアイがひどかったのと、骨髄移植の際の放射線治療の影響によって、白内障になりやすいと言われていたため

大学に入ってから眼科には受診していました。

そして、ある時、目の霞みやアイラインを引く際に片目を瞑ると見えないなどの症状が現れたため、眼科に行った際にその事を伝えると、視力検査を行う事になりました。

すると、裸眼で視力検査を行った後に度数の入ったレンズを入れて視力矯正を行っても、視力が出なかったため瞳孔を開いて検査を行うこととなり、その結果として両眼とも白内障になっていることが分かりました。

通常、お年寄りがなることが多く、白内障の進行はゆっくりであることが多いのに対して、私の場合は若いこともあったのか、1週間単位で見えなくなっていってしまったため、私は、発覚してから1ヶ月後に日帰りで両眼とも手術を行いました。

当時、大学6年生で国家試験および卒業試験の勉強を行わなければいけないのに対し、術後1週間は視力が安定しないため眼鏡を作ることが出来ないのと、お年寄りの場合では年齢により水晶体が古くなり老眼などで見えづらくなっている状態で手術を行うため、手術前より見えやすくなったと答えるのに対し、20代である私が人口レンズに変えてしまうことでピントが1点にしか合わなくなってしまい、手術前より見えづらくなってしまいました。

その為、術後の学生生活は遠近両用眼鏡を使って送っていましたが、遠近両用眼鏡を使い慣れるのに1ヶ月程度かかり、葛藤の毎日でした。

しかし、そんな日々を乗り越え、卒業試験および国家試験をストレートで合格出来たことで、私は人間諦めなければ結果を出すことは出来るのだということを学びました。

 

投稿が前回から時間が空いてしまいましたが、今回も読んで頂きありがとうございました。

 

 

 

高校2年生の夏休みのこと

高校生活を送っていた私が次に、経験したのは胆石でした。

当時の私は、17歳で体力もそれなりにつき、みんなと同じ生活が送れるようになっていました。

そんな時の夏休みでした。

症状としては、夜中になると汗を搔くほどの強い痛みをみぞおちに感じるというものでした。

しかし、夏だったこともあり、冷たい物の飲み過ぎや冷房などによる体の冷えによって、胃に痛みが出ているんだと思い、市販薬のガスターを親に買って来てもらい飲んでいました。

すると、不思議なことに痛みが収まっていたので、胃の痛みだと思い込んでしまっていたのと、その月に病院の予約が入っていたため、直ぐに病院に行くことをしませんでした。

しかし、痛みは日に日に強くなり、最終的にはご飯を食べただけで痛みを生じ、もどしてしまったため、翌日に病院の予約が入っていましたが、救急で診てもらうことになりました。

しかし、救急だったこともあり、お腹のレントゲンと採血のみで、肝機能の数値が上がっていることと、お腹にガスが溜まっていることしか分からず、その日は応急処置として浣腸のみ行い帰宅しました。 

そして翌日受診して、お腹のエコーを行ったことで胆石だということが分かり、入院となりました。

入院時は、石が胆管に詰まってしまったことによって肝機能が基準値の10倍程上がってしまっていたこともあって、1週間絶食させられると共に石は内視鏡手術によって取り除かれ、2週間で退院することが出来ました。

今考えれば、胆石での痛みは石が動くことによって痛みが生じるため、ガスターを飲んだことで痛みが収まっていたのではなく、石の動きが止まることによって痛みが収まっていたのだと思いました。

この経験を通して、私は同じ症状が続く際には自己判断せずに病院に受診することが重要であることを学びました。

 

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。読者の皆さまがこの記事を読んで、日々のわずかな体調変化に気付くきっかけになれたら幸いです。

白血病の寛解後

17年前に経験した白血病の闘病期間は、骨髄移植を含め8か月間を経て、13歳の5月に退院しました。

闘病期間中は、吐き気や腹痛、口内炎などの副作用が本当に辛い日々でした。

そして、退院したからといって普通に元気に生活が出来るわけではなく、免疫抑制剤など数多くの薬を服用しながら過ごしていました。

その、免疫抑制剤の服用によって、免疫力が下がっている状態だったため、お刺身などの生ものの摂取制限や感染症予防のために常時マスクを着用し、外食は控えるような生活を送っていました。

しかしながら、免疫抑制剤を減量するとGVHD(移植片対宿主)によって、食欲の低下だけでなく、手足の関節が拘縮してしまうなどの症状が出てしまい、中々、免疫抑制剤をやめることが出来ませんでした。

また、退院当初はただ数時間座っているだけで疲れてしまうなど、体力もなくなってしまっていたため、当時、中学生だった私はほとんど学校に行くことは出来ませんでした。

しかし、中学2年生の秋からは午前中のみ登校し、中学3年生からは1日中学校にいることが出来るようになり、高校にも進学することが出来ました。

そして、楽しい高校生活を送り、中学にほとんど行けなかったこともあったため、1年浪人して薬科大学に入学し、薬剤師となりました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。まだ、ブログを始めたばかりで、読みづらい部分や分かりにくい部分があるかもしれませんが、読者の皆様の少しでもお役に立てれば幸いです。

急性骨髄性白血病発症

私の、生活の中で病院との縁が切れなくなったことの始まりは、12歳の夏でした。

当時、私は、習い事として、ダンスを週3回、英会話に週1回通っていて、忙しい毎日を過ごしていました。そんな生活をしていた12歳の夏に病魔が襲いました。

それは、急性骨髄性白血病でした。

今考えれば、咳が止まらなかったり、体がいつもよりだるかったり、気持ち悪くなりやすく食欲が落ち気味だったというのがありましたが、それ以外に、あざが出来ていたり、鼻血が出やすいなどの症状はありませんでした。

そんな私の病気が発覚したのは、夏のある日、ひどい倦怠感に襲われ、熱を測ったところ38℃以上の発熱が出たことがきっかけとなったのですが、熱が出て直ぐに行った市立病院では、ただの夏風邪だろうと言われ、解熱剤と吐き気止めのみを処方されただけで検査は行なってもらえませんでした。

しかし、熱は40℃以上の高熱となり、解熱剤を使用しても薬の効いている時間がはっきりと分かるように、薬の効果がきれると熱が元の状態に戻ってしまい寝れず、翌朝には、起き上がると吐き気がしてしまい自力で起き上がることが出来なくなってしまいました。

そんな状態を見た母がおかしいと思い、前日に行った所とは違う夜間休日急患センターに私を連れて行きました。

すると、ラッキーなことにその日の当番の医師が小児科医であり、顔色が悪い気がするので念のために採血をして帰りましょうと言ってくれた事によって発覚したのでした。

あの時に、あの先生に出会わず、検査をしてもらえなければ、今、私は生きていることは出来なかったと思います。